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旧ユーゴスラビア・セルビア事情 ~ACC活動の背景~

1.ユーゴ紛争
「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、そして1つの国家」。

この有名な数え歌に象徴される旧ユーゴスラビアは、故チトー大統領の強い指導力の下、独自の社会主義経済システムを形成し、非同盟主義を貫くなど、ユニークな多民族国家として、かつて東欧圏では最も自由で豊かな国ともいわれていました。しかしながら、1980年のチトーの死後、東欧には体制転換を促す激動の時代が到来し、1989年には「ベルリンの壁」が崩壊しました。

旧ユーゴスラビアにおいても、1991年6月、スロベニア、クロアチア、同年11月マケドニア、そして1992年3月にはボスニア・ヘルツェゴビナがそれぞれ独立宣言を行い、内戦に突入したのです。内戦は特に民族の混在地域であるクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナで激しさを極めました。特にボスニアにおいては、クロアチア人、セルビア人、ムスリム人が、三つ巴での戦闘を繰り広げることになりました。

1995年11月、アメリカのオハイオ州デイトンで和平協定が結ばれるまで続いたこの内戦では、当時の旧ユーゴスラビアの人口2300万人のうち、およそ400万人が難民となったとも言われています。和平合意により紛争は終結しましたが、多くの難民、国内避難民が未だに故郷を離れた地で暮らしています。

2.コソボ紛争
そして、このユーゴ紛争は当時からバルカンの次の火種といわれていたコソボ紛争に発展し、アルバニア人とセルビア人による対立がさらなる戦禍を生じました。

コソボ自治州はもともとセルビア人が居住していた地域で、中世セルビア帝国の中心地でした。今日でも世界遺産を含む当時に建てられたセルビア正教の寺院、修道院が残っており、いわばセルビア人にとっての聖地です。14世紀にバルカン半島に進出したオスマン・トルコとセルビアは、1389年「コソボ・ポーリェ」の戦いで決戦に挑みますが、セルビア軍は大敗し以来オスマン・トルコの支配が約500年間続きました。第一次バルカン戦争の結果、コソボはセルビアに戻ってきましたが、長いトルコ支配の間にその地にはイスラム教を受け入れたアルバニア人が多数住みついていました。セルビア人にとってアルバニア人はトルコの影を背負った侵入者であり、アルバニア人にとってはその地は平和的に入植した父祖伝来の大切な土地です。コソボの民族間の確執はこのような背景から、所謂「バルカンの火種」として続いていたのです。

コソボ自治州はセルビア共和国が抱える2つの自治州のうちのひとつで、面積はちょうど岐阜県と同じくらい、人口は約200万人の小さな地域です。経済的には、旧ユーゴスラビアの中で一番豊かだったスロヴェニアを6.8とすると1という一番貧しい地域でした。いろいろな歴史を経て現在の民族構成は、90%を超えるアルバニア系(イスラム教)、10%に満たないセルビア系(セルビア正教)となっています。10%の中には、ごくわずかなロマやボスニア系、モンテネグロ系、アシュカリなど他の少数民族も含みます。90年代、このような民族構成と旧ユーゴ紛争のあおりをうけて、マイノリティでありながらもセルビア本国の恩恵を受け支配層に君臨し、自治州の地位を守りたいセルビア系住民と、本当の意味での自治要求、もしくは独立をしたいアルバニア系住民の対立が深まりました。そして、98年以降はセルビア本国の治安部隊と、KLA(コソボ解放軍)というアルバニア系組織の間に武力衝突が相次ぎ、コソボ紛争が始まりました。この時期アルバニア系住民に対する抑圧は加速し、非常に多くのアルバニア系住民が避難民になりました。そして、時のセルビア政府、ミロシェヴィッチ政権は国際的批判の的となり、99年春、NATOはコソボ自治州やセルビア本土と言った場所に国連の承認なしに78日間にも及ぶ空爆を行いました。その後、安保理決議1244によってコソボは国連の暫定統治下に入り、国際社会の助けによって自治政府への移譲を目指して、民主的な政治、近代経済制度への移行がはじまりました。難民となっていたアルバニア系住民の帰還もほぼ終わり、平和になったように思えるコソボでしたが、その代償として空爆時や国連統治が始まった後、報復を恐れて難民化したセルビア系住民の帰還は遅々として進んでいません。その数20万人とも言われています。国連統治下でもセルビア系の行方不明者や死亡者が出ており、むしろ危険を感じて新たに難民化する者も多く、また難民化せずともアルバニア系コミュニティーとの接触を一切絶ち、独自のコミュニティーや政治組織を作り生活するといった二重構造が存続しています。

このような8年間の統治を経て、2008年の2月、コソボのアルバニア系住民は独立宣言を行いました。コソボを国家承認するかということについては先進国の中でもEUの中でも足並みが揃っておらず、「コソボ共和国」は現在、日本を含む42カ国に承認を受けた「宙ぶらりん」な状態となっています。そして、民族間の和解は未だに果たされておらず、コソボ紛争による難民は国際社会から忘れ去られようとしています。

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